神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)1552号 判決 1992年8月28日
原告(反訴被告)
前田繁雄
ほか二名
被告(反訴原告)
原要子
ほか二名
主文
一 原告(反訴被告)らと被告(反訴原告)ら間において、原告(反訴被告)らの被告(反訴原告)らに対する別紙事故目録記載の交通事故に基づく損害賠償債務がいずれも存在しないことを確認する。
二 反訴原告(被告)らの反訴請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ全部被告(反訴原告)らの負担とする。
事実及び理由
以下「原告(反訴被告)前田繁雄」を「原告前田」と、「原告(反訴被告)東神交通株式会社」を「原告会社」と、「原告(反訴被告)山越昌夫」を「原告山越」と」「被告(反訴原告)原要子」を「被告原」と、「被告(反訴原告)西谷要一」を「被告要一」と、「被告(反訴原告)西谷和美」を「被告和美」と、各略称する。
第一請求
一 本訴
主文第一項同旨。
二 反訴
原告らは、連帯して、被告原に対して、金四一六万一四二八円、被告要一に対して金一一三万六〇九九円、被告和美に対して金三二九万七三二五円及び右各金員に対する昭和六二年九月一八日から支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、普通乗用自動車(個人営業タクシー)の所有者兼運転者と右車両と接触(衝突)した普通乗用自動車(法人営業タクシー)の運転者及び右車両の所有兼右運転者の使用会社が、右車両(法人営業タクシー)の乗客らとの間で、右交通事故に基づく各損害賠償債務の不存在確認を請求(本訴)し、右乗客らが、右交通事故により負傷したとして、右各損害賠償債務不存在確認を請求した各自動車運転者及び右法人営業タクシーの所有会社に対し、右各運転者につき民法七〇九条に基づき、右車両所有会社につき自賠法三条に基づき、各損害賠償を請求(反訴)した事件である。
一 争いのない事実
本訴・反訴に共通
1 別紙事故目録記載の交通事故(以下、本件事故という。)の発生。
(ただし、衝突の程度を除く。)
2 被告らは、本件事故により次の各受傷をした旨主張し、次のとおりの治療を受けた。
(一) 被告原・同和美
頸部捻挫
神戸みなと病院 昭和六二年九月一七日から同月二一日まで通院。
明芳クリニツク 昭和六二年九月二一日から入院。
(二) 被告要一
頸部捻挫・腰部捻挫
右腸骨部打撲
神戸みなと病院 昭和六二年九月一七日から同月一九日まで通院。同月二〇日から入院。
3 原告会社の本件責任原因(本件事故当時における本件タクシー二の保有者。自賠法三条所定。)の存在。
三 争点
1 本訴・反訴に共通
(一) 本件事故における衝突の程度
被告らの主張
本件タクシー一、二は、本件事故時衝突した。
原告らの主張
被告らの主張事実は否認。
本件タクシー一、二は、本件事故時接触したに過ぎない。
(二) 被告らの、その主張にかかる受傷の有無
被告らの主張
被告らは、本件事故により、その身体に激しい衝撃をうけ、その結果、被告らは、前記当事者間に争いのない、被告ら主張にかかる各傷害を受けた。
原告らの主張
被告らの主張事実は否認。
本件衝突の程度については前記主張のとおりである。
本件のような接触程度で、被告らに、その主張の如き傷害が発生することはない。
2 反訴
(一) 被告前田、同山越の本件責任原因(被告前田につき後方安全確認義務違反、同山越につき衝突回避義務違反。いずれも民法七〇九条所定。)の存否。
(二) 被告らの本件受傷に対する治療経過。
(三) 被告らの本件各損害の具体的内容。
第三争点に対する判断
一 本件衝突の程度
1 被告らにおいて、本件タクシー一、二は、本件事故時衝突(被告らは、右衝突により激しい衝撃を受けた。)したものである旨主張し、同人らの右主張事実にそう証拠として被告原、同和美各本人尋問の結果があるが、被告らの右各供述は、後掲各証拠及びこれらに基づく認定各事実と対比してにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
2(一) かえつて、証拠(甲一ないし三、検甲一、二の各1ないし4、証人先間吉廣、同大慈彌雅弘、原告前田、同山越各本人、弁論の全趣旨。)によれば、次の各事実が認められる。
(1) 原告前田は、本件事故直前、本件タクシー一を時速一キロメートルないし一・五キロメートル(人間の歩く速度よりも遅い速度)で後退させていたが、本件タクシー二のクラクションを聞いてとっさにブレーキを掛け右タクシー一を停止させた。
同人は、その際、何ら接触感を受けなかつた。
(2) 原告山越は、本件事故直前、自車進行方面信号機の標示が赤色であつたため、本件タクシー二を、同車両前方で同じく信号待ちで停車している車両一台の後方に、停車させた。同人は、右停車直前、自車右側に本件タクシー一が停車しているのを確認した。ところが、本件タクシー二が右停車すると同時頃に、原告山越は、本件タクシー一のバツクランプで同車両が後退を開始したのを知つたが、右車両が本件タクシー二の方へゆっくりと後退し接近して来るのを認め、クラクションを鳴らし続けた。その結果、本件タクシー一は、本件タクシー二に当たるか当たらないかの感じで停車した。
原告山越は、その際、接触感を受けなかつた。
(3) 原告山越は、確認のため自車から降りて、自車右後部の損傷の有無を確認したが、判然としなかつたし、その内前記信号機の標示も青色に変わつたので、原告前田に、付いて来てくれと申し向け、右両名は、それぞれ自車を右事故現場に付近に所在する日生ビル前まで進行させ、同所に停車させた。
そして、原告山越と同前田は、同所において、本件タクシー一、二の損傷の有無及びその状況を調べた。
右両名は、その際、本件タクシー二の右後部フェンダー部分に僅かな凹損を、本件タクシー一の左後部バンパー角に僅かな接触痕を、それぞれ認めたに過ぎなかつた。
原告山越は、本件タクシー二の右損傷状況から、原告前田に対し、右車両の損傷はたいしたことはないから心配するなと申し向け、そのまま原告前田と別れ、原告会社に対して、本件事故発生及び右事故は軽く接触した程度の軽微な事故である旨報告した。
原告山越は、その後、乗客の一人である被告要一が首が痛いといい出したので、その旨原告会社に連絡し、乗客を病院へ連れて行くようにとの指示を受け、同指示により被告らをみなと病院へ送り込み、同病院での診察を受けさせた。
一方、原告会社は、原告山越の右連絡により、同会社事故係長浜を本件タクシー二の所在場所に派遣したが、同人は、同車両の前記損傷状況を見て、同車両のこの程度の損傷で乗客が病院へ行くのかと驚いた。
(4) 兵庫県葺合警察署司法警察員巡査部長川崎健は、本件事故の翌日である昭和六二年九月一八日午前一〇時、本件タクシー一、二の右事故による損傷状況について実況見分を行つたが、その結果は、次のとおりであつた。
本件タクシー一 左後バンパー角擦過 軽微
本件タクシー二 右後輪タイヤハウス擦過 軽微
(5) 先間吉廣は、神戸個人タクシー事業協同組合の事故担当者であるところ、同人は、本件事故の翌日である右同日午前九時過ぎ頃、原告前田から、「当初、接触事故位なのに接触した相手車両の乗客三名が病院へ行くとのことである。」旨の連絡を受けた。
そこで、同人は、原告会社事故係長浜とともに、被告らが治療を受けたみなと病院へ赴いたが、同人らは不在で会うことができなかつた。
長浜は、その際、先間に対し、本件事故は軽く接触した程度の軽微な事故である旨申し向けていた。
先間は、その翌日頃、本件タクシー一、二の右事故による損傷状況を肉眼で調査したが、同損傷状況は、葺合警察署における前記実況見分の結果と同じであつた。
なお、右両車両には、右事故後、右各損傷部分を修理する必要がなかつた。
(6) 大慈彌雅弘の本件タクシー一、二の本件損傷部分に対する鑑定結果は、次のとおりである。
(a) 本件タクシー一
部位 リヤー・バンパー左角部
変形・破損 変形・破損なし。
僅かな擦過痕。
リヤー・バンパーの押し込みや同部位に装備されている、破損しやすいリヤー・コンビネーションランプAssyのレンズ類等の破損は確認されない。
(b) 本件タクシー二
部位 右リヤー・フェンダー部
変形・破損 変形・破損なし。
僅かに、コイン大の圧痕が印象された程度。
構造強度の強いサイド・シルやリヤー・ピラー等の変形はなく、強度的に比較的弱い、厚さ〇・八ミリメートル程度のフェンダー・アウター・パネルの軽微な圧痕が主である。
変形量
(侵入量) 大きめに見積つて、五センチメートル。
(二) 右認定各事実に照らしても、被告らの前記主張事実は、これを肯認するに至らない。かえつて、右認定各事実を総合すると、本件タクシー一、二の本件衝突の程度は、軽微な接触であつたと認めるのが相当である。
二 被告らの本件事故による受傷の有無
1 被告らが本件事故により受傷したと主張している受傷内容は、当事者間に争いがなく、本件タクシー一、二の衝突の程度は、前記認定説示のとおりである。
2 証拠(乙一一、一二の1、2、一三、一四、一五の各1、2、一六、被告原、被告和美本人。)によれば、被告らの右主張事実は、一見肯認されるかの如くである。
3(一) しかしながら、一方、証拠(甲一、八、証人大慈彌雅弘、同宗光博文。)によれば、次の各事実が認められる。
(1) 自動車工学的検討
(a) 本件タクシー一、二の本件衝突時における衝撃荷重は、同二車両の前記各衝突部位の状況から、最大に見積つて約三KN(キロニュートン)と推定される。
右衝撃荷重を受けたとき、本件タクシー二に生じる衝撃加速度は、約〇・一八G(平均衝突速度に換算すると、時速一~二キロメートル。)と推定される。
右衝撃加速度は、日常我々が車両の運転時早い速度でカーブを切る時や急ブレーキを掛ける時に生じる加速度約〇・八~〇・九Gの四分の一程度の低いレベルである。
(b) 実験結果によると、一般男性の頸部と腰部(背柱)の筋力の強さは一五〇ニュートンであり、一般女性のそれは約八〇ニュートンであるところ、本件タクシー二が本件事故により受けた衝撃時、被告要一の頸部や腰部に生じた力は約一〇ニュートンと、被告原、同和美の頸部に生じた力は約九ニュートンと推定される。
したがつて、被告らの右各身体部分に生じた右認定にかかる力を、右実験結果による数値と比較すると、被告要一の場合はそれの一五分の一程度、被告原、同和美の場合はそれの八分の一以下程度の低い力でしかなかつた。
(c) 本件事故の衝撃で本件タクシー二の乗員の頸部に生じた回転力(屈曲トルク)は、大きめにみて約一・〇ft・lbと推定される。
普通人を使つて頸部の強度を求める人体実験の結果によると、頸部に傷害が生じない無傷トルクレベルは、約三五ft・lbであるところ、本件タクシー二の乗員の頸部に生じた右回転力(屈曲トルク)は、右実験結果による無傷トルクレベルの約二・九パーセント、分数で示すと約三五分の一程度のレベルでしかない。
(d) 以上の自動車工学的各見地からする各検討の結果に基づくと、被告らの主張にかかる本件各傷害が本件事故により発生することはあり得ないとの結論に達する。
(2) 医学的検討
(a) 被告原
同人には、本件事故当時、基礎疾患として喘息、既往症として子宮内膜炎が存在したと推認される。
しかして、同人の主訴にかかる吐き気・頸部痛・頭痛・眩暈等は、右事故直後受診した神戸みなと病院における初診時より他覚的異常神経所見を欠いて終始推移し、日常生活動作の制限もなく、加療内容としても喘息に特有の薬剤使用等も見受けられる。
なお、同人は、本件診療記録中の熱計表における体温変化から、平素より微熱を有していたと推測されるところ、この微熱は、同人の右基礎疾患もしくは右既往症に起因すると推認される。
蓋し、喘息患者は、殆どといつて良い程慢性気管支炎を合併しており、常に慢性的炎症により微熱も継続的に認められるし、子宮内膜炎も、慢性化しやすく、これも継続的な微熱の原因となりやすいものだからである。
又、喘息から、吐き気・頸部痛・頭痛・眩暈等の症状が生じる。
(b) 被告要一
同人には、本件事故当時、基礎疾患として第五腰椎分離症(同人が生来的に有していた病態。本件事故と何ら関係がない。)・軽度肝機能障害(内服薬服用程度の治療を要する。)・高脂質血症(右肝機能障害の場合と同程度の治療を要する。)、既往症として昭和五六~五七年頃遭遇した交通事故による頸部捻挫が存在した。
しかして、同人の主訴にかかる頭重感・眩暈・左頸部痛・腰痛・吐き気等につき、神経損傷を認める客観的検査である腱反射・知覚検査・ホフマンテスト等において異常所見がなく、腰椎レントゲン検査では、同人の基礎疾患である右第五腰椎分離症が認められるだけであつた。
同人の本件受傷の一つと主張している右腸骨部打撲については、関係診療録に外傷の記載がない。
第五腰椎分離症から腰痛が生じることは明らかであるし、右基礎疾患から第五腰椎分離症を除いたその余の基礎疾患から全身倦怠感・頭重感・眩暈・左頸部痛・吐き気・腰痛・背部痛等の症状が生じる。
なお、同人には、右事故当時、右基礎疾患・既往症の他に、起因菌は不明であるが感染症(通常の打撲挫傷ではあり得ない病状)に罹患していた可能性が強く、この感染症によると、発熱・頭痛・吐き気・全身倦怠感等の症状が発現する。
(c) 被告和美
同人は、本件事故の約一年前に当たる昭和六一年八月二日腎臓及び膀胱の手術を受け、右事故当時も利尿剤(ラシツクス)を継続服用中であつた。
しかして、同人の主訴にかかる頭痛・頸部痛等につき、他覚的診察・神経学的検査や頸椎レントゲン検査において異常所見や異常は認められない。
又、同人には、日常生活動作に制限も認められない。
同人の右既往症である泌尿器系の手術後の合併症は、同人に微熱それに伴う頭痛を継続的に、又、右利尿剤は、その効果が全身状態へ及ぼす症状の一部として全身倦怠感等を、それぞれ発現させる。
(d) 本件タクシー一、二の本件事故における衝突の程度は、前記認定のとおりであるところ、医学的見地からしても、健常人が右衝突の程度で被告ら主張にかかるような受傷をすることは考えられない。
したがつて、被告らが本件において主張している各症状は、同人らの右認定にかかる各内因性要因により発生しているものと考えられるのが相当である。
(二)(1) 右認定の各事実及び意見に照らす時、被告らの前記主張事実は、前記二2掲記の各証拠の存在にもかかわらず、未だこれを肯認し得ない。
むしろ、右認定の各事実及び意見を総合すると、客観的にみて、被告らに、本件事故と相当因果関係に立つ受傷は存在しないというのが相当である。
なお、江守一郎作成の鑑定書(乙一七)の記載内容は、本件事故の具体的内容と直接的関係がないから、これをもつて右認定説示を妨げ得ないというべきである。
(2) もっとも、前記二2掲記の各証拠(文書)によれば、被告ら主張の各医療機関における担当医師が被告ら主張の各傷病名で同人らに対する治療に当たつていることが認められるのであり、本件についての右結論は、右各医師の本件治療行為と矛盾するかの如くである。
しかしながら、このような現象は、当裁判所に顕著な事実である、次のとおりの交通事故受傷者に対する現在の医療事情に基づくというべきである。
即ち、医師は、交通事故損傷の特殊性のため、右事故によつて受傷した患者の自覚症状を否定し去るだけの根拠を持たないこともあり、右事故後は患者の自覚症状のみであつても患者の生命や健康のため万一の手落ちがあつてはならないとの観点から、患者の訴えにかなり大きな比重を置き加療している。このような場合、患者の訴えが仮に誇大であつても、その訴えが強い場合、担当医師は、むげにこれを放置して置けず、治療を続けねばならないのである。
このような現在の医療事情及び弁論の全趣旨を総合すると、本件において被告らの治療に当たつた各医師も、その例に漏れなかつたと推認できる。
右観点からすれば、右各医師の本件治療行為の存在も、本件についての右結論を阻害するものではない。
三 被告らの本件損害の存否
右認定説示に基づき、被告らの本件事故に基づく各受傷の事実が肯認できない以上、被告らの本件損害に関する主張は、その余の主張の全てにつき判断するまでもなく、右認定説示の点で既に全て理由がないことに帰する。
第四全体の結論
以上の全認定説示に基づくと、原告らの本訴各請求は、いずれも全て理由があるからこれらを全て認容し、被告らの反訴各請求は、いずれも全て理由がないからこれらを全て棄却する。
(裁判官 鳥飼英助)
事故目録
一 日時 昭和六二年九月一七日午後八時三〇分頃
二 場所 神戸市中央区布引町四丁目一番JR三宮駅北側ロータリー
三 加害(原告)車 1原告前田運転の普通乗用自動車
(個人営業タクシー。以下、本件タクシー一という。)
2原告山越運転の普通乗用自動車
(法人営業タクシー。以下、本件タクシー二という。)
四 被害者 本件タクシー二の後部座席に乗客として乗車していた被告ら
五 事故の態様 本件タクシー二が、本件事故現場で停車中、本件タクシー一がバツクして来て、右車両の左後部と本件タクシー二の右後部とが衝突した。
以上